スポーツから学んだチームプレイで、
社会を支える仕事に就きたい。
中学、高校はバレーボール部の選手として、大学ではラクロス部のトレーナーとして、ずっとスポーツに関わってきました。いろいろな個性を持つメンバーと協力し合い、チームの中で自分のやるべきことを判断して動く。それが成果につながることの面白さをスポーツから学びました。チームスポーツという原体験から、就職活動においても、チームで動いて社会に貢献できる企業を探しました。
目にみえる商品を扱うのが分かりやすいと考えていたこともあり、自然とメーカーの営業職に絞り込まれていきました。中でもNECに興味を持ったのは、システムやネットワークなど、幅広く社会に影響を与えられる仕事ができると思ったから。チームで動く営業だと感じたことも大きかったですね。仕事の面だけではありません。面接などでお会いした社員の方は、学生だった私に対して毎回、丁寧で前向きなコメントをしてくれました。人を大切にする印象を受けたこともNECを選ぶ決め手になりました。
2009年の入社後は、社会公共事業の営業として、京都支社へ配属。私は横浜出身で、ずっと関東で過ごしてきたこともあって、この配属には正直ビックリしました。でも、京都で出会った社内外のたくさんの方から学んだことが、今の自分の営業スタイルを作ってくれたと思っているので、振り返れば最高の6年間でした。
お客さまの一番の理解者として、
全力で寄り添い続ける。
京都支社では、自治体に導入されている住民情報系業務システムの営業を担当。新しいソリューションの提案、既設システムの改修案件などいろいろな業務を経験させてもらいました。1年目はシステムのことも、市役所の業務のことも知識が乏しく、分からないことだらけでした。しかし「何かあっても責任を取るから、思うようにやってみたら」と上司からあたたかく見守られ、分からないなりにもチャレンジすることができました。
お客さまと信頼関係を築くためにも、まずは自分のできることを全力でやる。何かシステムにトラブルがあればいち早く駆けつけて、付きっきりで対応したり。毎日何度も通い、ふとした会話の中に出てきたお客さまの困りごとを社内のチームメンバーに相談し回って、なんとか提案につなげたり。そうすることで、少しずつお客さまとの距離を縮めることができました。最初はいつも上司宛にきていた相談が、2年目からは徐々に私宛に来るようになりました。
私の営業のモットーは、お客さまの一番の理解者として寄り添うこと。そして、何事も手を抜かず全力で取り組むことです。例えば、ソリューション提案の資料づくり。技術的な内容が多いためSEが作成するケースが多いのですが、そのまま説明すると難しい用語も多く、伝わりにくいことがあります。そのため私の場合は、「お客さまの立場で理解していただけるか?」という観点を必ず入れて、SEと会話しながらかみ砕いたサマリページを追加したり、分かりやすい表現に書き変えてからご提示し、自ら説明することを心がけています。東京へ異動する際、お客さまから「熱い気持ちと自ら先頭に立って物事を進める姿勢は、目を見張るものがありました」と言っていただいたときは、私らしさを認めていただいたようで、うれしくなりました。
防災DXにもっと新しい挑戦を。
失敗を恐れない文化をつくりたい。
東京本社に異動してからは、防災関連の営業を担当。自治体に対して、未曽有の危機に対する防災活動の高度化へ貢献すべく、NECの持つ災害対応ソリューションの知見や強みを活かし、安心安全な都市を実現することに力を入れています。営業スタンス自体は京都支社にいた頃と変わらないものの、防災は通常業務と違って頻繁に経験するものではありません。だからこそ、お客さまと共に最善の業務遂行方法を模索・思考しながら、提案活動を行っています。
特に防災DXに関しては、既存の枠にとらわれない、新しいアイデアが求められています。最適なソリューションを提供できるように、最近では、自社技術にこだわらず、コンサルタントやSIerなど、幅広い企業と積極的に連携しながら提案する機会が増えてきました。このような状況下で感じたのは、NECは堅実なものづくりをするために、スピード感が犠牲になってしまうケースが多いということ。
そのため、私自身、今まで培ってきた「チームワーク」「顧客の第一の理解者」のスキルを高めつつ、社内では「まず、やってみよう」「進めながら軌道修正していこう」という企業文化を根付かせていきたい。そして、誰もが失敗を恐れずに先進的な提案を積極的にできるようにしたいと思っています。防災DXは、社会そのものを変える挑戦。災害時に一人でも多くの命を救えるサービスメニューを社会に実装したいと考えています。