よりグローバルで、
より多様な仕事に携わるためにNECヘ。
アメリカ合衆国の北東部に位置するニューハンプシャー州。冬の寒さが厳しい街で生まれ、育ちました。大学を卒業するまではニューハンプシャーで生活していましたが、社会人になると同時にサンフランシスコへ移りました。1990年後半~2000年初頭のサンフランシスコはITバブルに沸いており、派遣会社や広告会社での仕事を経験した後に、インターネットのベンチャー企業で仕事をしていました。
日本へ来たのは、ITバブルが落ち着いた2002年のこと。来日してからは語学講師を経て、携帯電話向けのサービス会社へ。広報を中心にマーケティングやInvestor Relationsに6年間従事しました。その経験を活かし、NECに転職してからも広報業務に携わっています。
現在所属しているコーポレートコミュニケーション本部では、主に英語での社外向けと社内向けのコミュニケーション業務を担当しています。社外向けでは、NECが今取り組んでいる事業や手がけているサービスからビジョンまでを発信し、NECのポジションを構築していく役割を担っています。社内向けのコミュニケーションとしては、各事業部や海外のグループ会社が持っている技術やサービスをグループ全体へ周知・浸透させ、新たなシナジーが生まれやすい環境づくりを進めています。どちらもこれからのNECの成長に欠かせない重要なミッションであり、非常にやりがいのある仕事です。
私たちが発信する情報に、
世界が注目している。
コーポレートコミュケーション本部には、現在40名程度のスタッフがいます。NECが社外に発信する情報の多くをこの部署で管理しており、私はその中で主に外国人ジャーナリストの窓口を担当しています。例えばアメリカの現地メディアから、5Gに関する取材依頼があった場合。私がリーダーとなりNEC Corporation of AmericaのPRチームと協働して取材の準備を進めます。想定される質問をベースに情報を整理していき「それをどう伝えると深く理解してもらえるか?」を考えていきます。取材に加えて、国際的な展示会やカンファレンスで、NECが情報を発信する際のマネージメントも担当。
特に記憶に残っているプロジェクトとして、毎年バルセロナで開催されている「MWC(Mobile World Congress)」というテクノロジーの見本市への出展があります。世界最大級のICT業界のイベントですが、2017年に当時のCEOである新野(現在は副会長)が「SDGsへの取り組み」というテーマで基調講演する事が決まり、その対応を私のチームが任されたのです。
まず、NECの各部署がどんな取り組みしているのか、細かくヒアリングすることからスタートしました。壮大なテーマだからこそ、集まった情報も膨大。スピーチやスライドに落とし込むだけでも数週間を費やしました。大規模で難易度の高いプロジェクトではありました。しかし、会場でのスピーチに世界の聴衆が聞き入っている姿を目にした瞬間、仕事の大きなやりがいを感じました。それと同時に「情報を発信する」という、自分たちの仕事の責任の重さを改めて気づかされたプロジェクトでした。
NECの今を発信するために、
誰よりもNECに詳しくなる。
私がNECに入社した十数年前は、携帯電話やPCなどのコンシューマー向けの事業領域を担当していました。当時は、今のように5Gやバイオメトリクスなどを活用したサービスやソリューションの広報業務を担当するとは、まったく想像もしていませんでした。
グループ会社も国内外で増え、事業は多角的にそしてより専門的になってきています。組織としては、よりオープンになってきており、立場や世代を超えてコミュニケーションできる環境が育ってきています。以前と比べると、どんどんイノベーティブな文化を持った会社に変容してきていると感じています。
しかし、世界にはまだNECを携帯やPC、ディスプレイのメーカーとだけ認識している方もいるのが現実です。この溝をスピーディーに埋めていくのが、私たちコーポレートコミュニケーション本部のこれからの重要な課題。そのためには、まず私たちが今のNECを誰よりも高い解像度で理解しなくてはいけません。これだけ大きな企業ですから、簡単な仕事ではありません。でも、私たちが発信した情報が何かのヒントになり、新たな技術のコラボレーションが生まれ、社会を動かすことだってあり得るのです。そう考えると、本当にワクワクしますよね。